童謡「さっちゃん」のトラウマ!?(わらプレvol.32)
おはようございます。桑山元です。
今朝はお悩み相談を一時お休みして、ちょっと気になった話を。
【なお、清々しい朝の話題とはかなり違う話題ですので、ご注意ください】
昨日の朝、仕事前にフジテレビ系列の「早く起きた朝は」というテレビをなんとなく見ていました。
妻がつけていたので、メルマガ書きながら横目で見てました。
その番組で童謡「さっちゃん」の話をしていました。
さっちゃんの歌をうろ覚えながら、出演者3人で歌っていました。
そこで、ふと思ったことがあったんです。
……この歌を歌っているのは誰なんだ?
いや、番組で歌っているのはという意味ではなくて、歌っている主体はどの立場の人間なんだ? と。
普通に考えれば幼稚園児くらいの「さっちゃん」と同い年の男の子ですよね。
でも、本当にそうなのか? と思ったんです。
ちなみに「さっちゃん」の歌詞はこんな感じです。
今更ですけど(笑)
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サッちゃんはね サチコっていうんだ ほんとはね
だけど ちっちゃいから 自分のこと サッちゃんって呼ぶんだよ
可笑しいな サッちゃん
サッちゃんはね バナナが大好き ほんとだよ
だけど ちっちゃいから バナナを 半分しか 食べられないの
可哀相ね サッちゃん
サッちゃんがね 遠くへ行っちゃうって ほんとかな
だけど ちっちゃいから ぼくのこと 忘れてしまうだろ
寂しいな サッちゃん
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どうでしょう?
こうやって眺めると違和感ありませんか?
同い年や、一緒に遊んでいた幼馴染なら、さっちゃんのことを「ちっちゃい」呼ばわりするでしょうか?
「おかしい」と言うでしょうか?
通常、そのくらいの年齢だったら女の子の方が精神年齢が高いのが普通ですよね。
そして2番になると、急にバナナが出てきます。
昭和に作られた歌で、時代的にバナナが丁度良い。
それはわかります。
でも、なぜバナナなんだろう?
リンゴじゃダメなのか?
みかんじゃダメなのか?
バナナが妙な暗示に思えて仕方ありません。
そして3番では、さっちゃんが引っ越します。
もし歌っている主体が同い年くらいの幼馴染なら「さっちゃんが忘れてしまう」のと同等以上の確率で「自分も忘れてしまう」可能性があるはずです。
しかし、この歌詞からは「(自分は絶対に忘れないけど)さっちゃんは忘れてしまうだろう」という確固たる自信が垣間見えます。
なぜ?
さっちゃんのことが好きだから?
……それとも、歌っている主体が大人だから?
ここから導き出される可能性のひとつとして「幼女趣味の性犯罪者的青年」というプロファイリングは、全く可能性としては考えられないのでしょうか?
とすれば、さっちゃんが引っ越した理由って……。
なんてね(笑)
ここで言いたかったのは、朝から嫌な気分にさせることではありません。
ましてや僕の変態性でも妄想癖でもありません。
笑いのネタを作るときのコツのひとつとして「ホントかな?」という考え方があります。
もしくは「常識(定説)と全くかけ離れたポジションってどこだろう?」と考えます。
そして、それが本当に成立しないのかと考えます。
ドリフの「もしもシリーズ」もこの延長で創られています。
織田信長が本能寺で死んだ。
ホントかよ?
ここから作られた小説・映画・漫画は無数にあります。
自分が講義する内容を敢えて自分で「ホントかよ?」ってツッコんでみる。
色々、妄想してみた結果、結論として一周してきて「ホンマやわぁ」となっても、それでいいんです。
たぶん、聞いてる人には普通に話すよりも、強烈な印象となって記憶に残るはずです。
【今日の結論】
面白くない「普通」のことを話すときには、いったん自分の話に「ホントかよ?」とツッコんで、寄り道する。
「実は違うんじゃ?」「もしも、本当はこうだったら?」と妄想全開の話をすると、話してる方も聞いてる方も遊びが出来て楽しくなる。
※ネットで調べたら「さっちゃん」の歌詞には、もっとおどろおどろしい都市伝説がありました(笑)