年賀状がたくさん返ってきた!!(わらプレvol.132)
新年明けましておめでとうございます。
今さら!?
と、いう感じもしますが、まぁ年初めですので。
さて、僕は毎年性懲りもなしに年賀状を400枚くらい出します。
気の利いたコメントではありませんが、それぞれに手書きで一言付け加えるようにしています。
例年は400枚くらい出して、年賀状が戻ってくるのが20枚くらい。
メールで「あけましておめでとう」とか「年賀状ありがとう」と返ってくるのが10通くらい。
僕の人徳が偲ばれます(笑)
いや、いいんです。
このメールやライン全盛の時代に「あえて逆張り」とばかりに僕が勝手に出してるだけなんで。
例年だと合わせて30通ちょいしか戻ってこないのに、今年はなんと年賀状で70枚近くも返ってきました。
メールでも10通くらい。
これも「徹子の部屋」出演の恩恵なんでしょうか?
ありがたいことです。
さて、そんな年賀状を見渡していると、あることに気づきました。
これは僕だけなのかもしれませんが……
「手書きの文字は読もうとするが、活字の文字は読み飛ばしがち」なのです。
印刷された文字で事細かに近況報告をしてくれている年賀状も結構多くあります。
それぞれが心温まる家族の一人一人の状況だったり、旅行に行ったときの思い出だったりと面白いのですが、でも活字だとすっと斜め読みしてしまうのです。
そして、ふと近況報告してあることに気づき、もう一度読み返したりします。
これはなんでなんだろう?
自分の中で新たな疑問が生じました。
・手書きの文字は形状が揃っていないから目につきやすいんだろうか?
それもあると思います。
・手書きの文字は「絵」や「イラスト」に近いから、右脳を刺激しやすいんだろうか?
多少は関係あるかもしれませんが、決定的要因ではなさそうな気がします。
考えた末に僕が出した結論とは……
なんだと思いますか?
ちょっと、一緒に考えてみて下さい。
それは、活字で印刷された情報は「僕だけに語りかけているわけではない」と無意識に感じてしまうから、ではないかと。
活字で印刷された情報=皆に画一的に発信されている情報
手書きの情報=活字でフォロー出来なかった個別の情報
と、瞬時に無意識が判別しているのではないか、と思ったのです。
これの面白いところは、「書いてある内容自体は関係ない」ということです。
画一的な内容を手書きで書いてあっても、やはり目が行ってしまいます。
書いてあることを読む前の段階で、そのような取捨選択がなされるのです。
へぇ~なんて思いながら、考えているとこれって「人前で話す」のも同じだよな、と気づきました。
それがセミナーであれ、プレゼンであれ、授業であれ、講義であれ、決まりきった文言を一定のスピードで喋っているものは、すぐに眠気を誘います。
これって、みんなに対して画一的に発信している情報なわけです。
悪く言えば「情報の垂れ流し」です。
なぜそのような印象を与えるのか?
これを細かく分析すると、様々な要因が絡み合っているのでしょう。
音程の高低、スピードの緩急、ボリュームの強弱……。
しかし、これらを回避する方法は極めて簡単です。
「誰か一人に向かって話せば良い」のです。
ターゲットを絞り込むことによって、相手の表情やリアクションに反応して、勝手に変化がつきます。
そして、その変化は「手書き文字」と同じように「気を引く」効果を発するというわけです。
ちょっと、試してみて下さいね。
P.S.
今、新大阪に向かう新幹線の中から書いています。
明日と明後日は大阪梅田のサンケイホールブリーゼで公演です。
台詞覚えているか、かなり心配です。