動物園で言えば、どっち側?(わらプレvol.87)
昨日は久々にメルマガを発行したせいか、たくさんの方からお便りを頂きました。
なんでも1週間発行していなかったとか……。
自分では数えていなかったので「そんなにかぁ~」などと思いました。
意外と皆さんが楽しみにしてくださっていたのを知って、ちょっと申し訳なく思いましたが、それでもやっぱり嬉しく思いました。
話は変わりますが、先日、妻が携帯でなにやら一生懸命画像を見ていました。
「何を見ているんだろう?」と覗き込むと様々な犬の画像。
理由を聞くと「犬を飼いたいなと思って……」とのこと。
そんな話は初耳だったのでちょっと驚きました。
それにしても子犬の画像が全く出てきません。
不思議に思って尋ねると12歳くらいの老犬だと言う。
「子犬の方が感情移入しやすくて可愛いんじゃない?」と尋ねると
「このくらいの年齢の方が落ち着いていていいかな、と思って。それにこの子達、殺処分される子達をNPO法人が紹介しているんだよ」
との答え。
僕自身、殺処分の犬を引き取って育てる、というか、助けるなんて考えたこともなかったので「うちの妻って凄いな」と思ってしまいました。
困っている人を放っておけないんだろうな、と思いました。
医療分野で働いているのも、きっとその延長なんだろう、と。
そこで僕はふと思い当たることがありました。それは……(続きは最後)
(本日のあらすじ)
・面接で緊張するシステム
・被観察者と観察者
・「契約とは双方向」という感覚を常に意識する
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さて、今日は面接時に緊張しない方法について、です。
これは就職活動に限らず、商談や気になる異性との会話にもきっと使えるはずです。
そもそも何故、面接のときに緊張するのでしょうか?
どうしてだと思います?
ちょっと考えてみて下さい。
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失敗したくない、と思うから?
自分の実力以上のものを出そうと背伸びするから?
そのどちらも正解なのですが、その根っこ部分にあるのは「見られている」「監視されている」「評価されている」と思うからです。
動物園の動物ですら「見られている」ということにストレスを感じるそうです。
意外なことに「檻の中に閉じ込められていること」よりも「見られていること」の方がストレスになる場合も少なくないそうです。
では、これを解決するにはどうすればいいか?
方法は2つあります。
まずは自分が「観察される立場」から「観察する立場」になること。
例えば、就職活動の面接であれば「この会社は自分にとってふさわしいのか?」「会社の顔として自分の前で面接している人から、この会社の雰囲気を探ろう」とすることです。
面接は雇い主である向こうが、雇われる側のこちらを一方的に評価する場とつい考えがちですが、本来は「契約」する前段階の値踏みなわけです。
契約は双方向の意思が合致して行うものなわけです。
つまり、「こちらも向こうを値踏みする場」なわけです。
こちらが観察者側に回ると、不思議に緊張しなくなります。
「でも、それってちょっと失礼じゃない?」
そんな声が聞こえてきそうですが、これは全然失礼なことではありません。
むしろ「値踏みしないこと」の方が失礼なのです。
どういうことでしょうか?
では、こう考えてみてはどうでしょう。
Aさんは常に「ねぇ、おごって~。どうしたら私におごってくれるの?」と聞いてくる。
Bさんは常に「ねぇ、私であなたの役に立てることない?」と聞いてくる。
どっちが好きですか?
まぁ、実際に「常に」こういうことを言ってきたら『どっちもウザイ』んですが(笑)、どっち? と聞かれたらほとんどの人がBさんの方が好きなんじゃないでしょうか。
Aさんは「ちょうだい、ちょうだい」と群がる人。
Bさんは「GIVE&TAKE」の人なわけです。
余談ですが「GIVE&TAKE」って、GIVEが先に来ていて「TAKE&GIVE」じゃないところも奥が深いですよね。
つまりBさんは「私があなたに、してあげられること」と「あなたが私に、してあげられること」の合致点を探しているのです。
そうすれば必然的に「相手を観察して」「相手のために」言動することになりますよね。
つまりフォーカス(焦点)が「自分」ではなく「相手」になります。
そうすると「自分が見られている」「自分が評価されている」という意識が消えますから、自然と緊張しなくなるというカラクリです。
もうひとつの方法は「メタ認知」と呼ばれる方法です。
これについては次回、詳しくお話したいと思います。
メタ認知とは「認知していることを認知する」「より高次元で自分を見る」みたいな意味合いです。
お楽しみに!!
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僕にはずっと不思議だったことがあります。
それは「何故、妻が僕と結婚したのか?」ということです。
結婚当時、僕はザ・ニュースペーパーのメンバーではなく、スタッフをやっていました。
つまり妻は舞台の僕に憧れてというわけではないのです。
さらに借金が200万円くらいありました。
部屋の片付けは出来ず、よく遅刻し、ギャンブルこそやらなかったものの、後先考えず酒を飲んでは意識をなくし(これは今もそうです(笑))、特に新しいことに挑戦するわけでも、新しいことを学ぼうとしていたわけでもなく、将来の夢やビジョンもありませんでした。
平たく言えば「最低のクズ人間」でした。
そんな僕と何故結婚しようと思ったのか?
それがとっても不思議でした。
僕のことが好きだから?
う~ん、一緒に暮らしていてとてもそんな感じには思えない。
僕になんらかの可能性を見出したから?
妻は自立心が強いので、僕に養ってもらおうなどと考えたことはなさそうです。
ずっと疑問でした。
ところが、ふと思い当たったのです。
「あ、僕、この殺処分待ちの犬と一緒だったんだ!!」
それを妻に話しました。
そして「殺処分を救ってもらったんだから、何故もっと優しくしてくれないんだとか言っちゃバチが当たるよね」と。
妻は大爆笑してました。
「そんな風に考える人、初めて見た!!!」
もう涙を流して笑っていました。
でも、僕は知ってるんです。
妻は図星を突かれると、笑ってごまかす癖があることを。