8年ぶりの大失敗(わらプレvol.202)
おはようございます、桑山です。
久しぶりに寝坊して遅刻しました。
6:15にホテルのロビー集合だったのですが、目が覚めたのは6:13。
それも僕がなかなかロビーに来ないので(たぶん僕がいつもはかなり早く来ているので電話してくれたのだと思う)、携帯が鳴って起きました。
仕事上で寝坊して遅刻したのは、実に8年ぶり。
いやぁ、やらかしました。
集合時間に4分遅刻。
でもね、実を言うと僕は10年前くらいまでは遅刻の常習犯でした。
それも細かく3分とか5分とか遅刻していました。
でも、たとえ1分とはいえ、遅刻は遅刻!!
そんな僕がどうやって遅刻魔から卒業できたのかを今日はお話しましょう。
(ま、寝坊して遅刻した朝に書くべき事ではありませんが……)
「遅刻をする人=時間にルーズな人」
世間的にはそう思われています。
しかし、遅刻をしている本人は、実はそうは思っていないのです。
ここのところが理解できていないと、遅刻魔から卒業することは出来ないのです。
では、よく遅刻する人は、自分のことをどう定義しているのだと思いますか?
人によって、微妙な違いはあると思いますが、
・時間を大切にする人
・限界まで頑張る人
こんな風に定義している場合が多いのではないでしょうか?
は??
なんで?
遅刻しておいて「時間を大切にする」とか「限界まで頑張る」とか、あり得ないでしょう?
どんだけ自分を美化してんだよ!!
おそらく遅刻しない人から見ると、そんな印象でしょう。
しかし遅刻魔の感覚は、少し違うのです。
時間を大切にする
↓
早く到着すると、時間を無駄にしてしまう
↓
時間を無駄にすることは、もったいない(あるいは罪)
↓
時間ピッタリに到着することがベスト(理想)
↓
理想を叶えようとする自分
↓
不測の事態が発生
↓
ほんのちょっとのところで理想までは届かない
↓
結果的にはダメだったが、頑張った
こんな感じなのです。
これで理解が難しければ、この公式を受験や営業成績、理想の結婚、あるいは新年に掲げた「今年は、これを達成しよう」という目標に置き換えると納得しやすいのではないでしょうか?
第一志望の高校に合格したくて勉強したけど、ほんのちょっとのところで合格までには至らなかった。
今月の営業成績を達成すべく努力したが、ほんのちょっとのところで、その数字には届かなかった。
28歳くらいで結婚して、優しく自分のことを労わってくれるパートナーといつも笑顔で温かい家庭を築くことを目標にしたけど、28歳までには結婚できなかった(あるいは結婚はしたけど、理想の家庭とはやや乖離している)
どうでしょう?
落ち込み(ガッカリ)はするけど、そこまで自分を責めはしないのではないでしょうか?
「あ~ぁ、なんで自分はいつも達成できないんだろうなぁ~~」
このくらいじゃないでしょうか?
この意識のまま、違う目標を掲げたとき、達成できる確率は何%くらいだと思いますか?
おそらく、かなり低かったのではないでしょうか?
遅刻をしない人から遅刻をする人を見ると「意識が低い」「責任感がない」と見えます。
もちろん、大枠で括ると、その通りです。
ですが、本当の原因は「意識が低い」ことでも、「責任感がない」ことでもありません。
思考のパターンが一通りしかないことが原因なのです。
例えば、「時間を無駄にすることはもったいない」と考えている人は「時間を効率よく使って、自分を少しでも成長させたい」と思っています。
だから、「待ち合わせ」には時間ピッタリに行き、その直前まで自分の興味あることやテレビなどの情報を取得しようとします。
結果、「家の鍵が見つからない」や「途中で赤信号にひっかかる」など、遅刻をしない人なら想定内の「不測の事態」に阻まれて遅刻をします。
しかし、自分の成長のために時間を使って、ほんのちょっとのところで待ち合わせに間に合わなかっただけなので、落ち込みはするけど、そこまで自分を責めないのです。
学校のテストを例に上げて考えてみましょう。
例えば小学5年生の国語のテストで、「きっちり53点を取る」のと、「53点以上なら何点でもいい」のでは、どちらが簡単ですか?
もちろん後者ですよね?
これは、待ち合わせに置き換えても同じです。
「8:00きっちりに着く」のより「8:00までに着いていればいい」方がはるかに簡単なのです。
遅刻をしない人から見れば「何を当たり前のことを」と思うかもしれませんが、遅刻魔の人はこれが自分の中に落としこめていないのです。
わざわざ難しいことにチャレンジすると、その分だけ脳のメモリ(意志力)は消費します。
逆に言えば、簡単な方を選んでおけば、その分だけメモリが開放される事になります。
スマホでもパソコンでも、メモリをギリギリまで使えばサクサク動かずに、フリーズ気味になりますよね?
凄く熱をもったり。
つまり「時間ぴったり」に行動しようとすることは、これと同じなのです。
だから「8:00ぴったりに到着しよう」とする人は、「それまでの時間を自分の成長に使おう」としているようで、実は「非常にパフォーマンスが低い時間の使い方をしている」ということになるのです。
7:45に到着しておいて、一つ課題をクリアして心に余裕を持った状態で(メモリを開放して余裕のある状態で)、待ち合わせまでの15分間に考え事やスマホで何かを調べたほうがよほど効率的(高いパフォーマンス)な状態で色々なことが出来るのです。
この矛盾に気づかないかぎり、遅刻魔からは卒業しにくいのです。
もちろん圧倒的な嫌な経験などがあれば、その痛みから逃れよう(二度と経験したくない)と思い、卒業することは出来ますが、そうなってからでは遅い場合がほとんどです。
「相手の気持ちになって考える」って、よく言われることですが、とっても難易度の高いことだと思います。
「なんで遅刻をするんだ!」と怒鳴ることは簡単ですが、それでは相手に響かないし改善もされにくいのです。
遅刻をついしてしまう人も「自分の人生をダメにしたい」と思って行動している人は、ほとんどいません。
では「なぜその行動をとってしまうのか?」という『思考をトレース(なぞる)』する試みが、相手により響きやすい言葉を見つける手段だと思います。
そして、その繰り返しこそが「響くプレゼン」を行ううえで、聞いている人に「他人事ではなく自分事」として捉えてもらうコツなのではないでしょうか?
以上、桑山が久しぶりに遅刻をした言い訳でした(笑)
P.S.昨日はたくさんのお誕生日お祝いメッセージをありがとうございました♪