なぜ自分を実況中継すると落ち着くのか?(わらプレvol.11)
今回のあらすじ
・「自分を演じる」は入門編。「ナレーターになる」は初級編。
・「ナレーターになる」はセルフ・コントロールの手段。
・ネガティブ・スパイラルを断ち切れ!!
△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽
おはようございます、桑山 元です。
昨日は「自分の行動を実況中継したり、ナレーションを入れる」ことによって、緊張をしない例を挙げました。
「自分を演じる」というのが、いつもの自分の情報を思い出しながら受動的に行動する入門編だとすると、「ナレーターになる」というのは、自分の状態を自ら言語化する初級編です。
これ、平たく言うと「セルフ・コントロール」なんです。
つまり、自分の行動を自分の言葉で表現することによって、客観的に見つめなおそうという試みです。
ん~~、まだ、わかりづらいかな?
例えば、その真逆の事を考えてみましょうか。
セルフコントロール出来てない状態。
どんな状態が考えられますか?
怒りに我を忘れている状態。
気分が落ち込んで、自分ではどうにもできない状態。
頭が真っ白な船場吉兆のささやき女将状態。
もう考えることすら面倒臭くなった思考停止状態。
これらの状態って何か共通点があると思いません?
そう、外部からの情報をシャットアウトしてしまってるんですよ。
怒りも落ち込みも、外部からの情報をシャットアウトして、自分の中の「結論が出ない」理屈に振り回されている。
頭の中のグルグルトークですね。
逆に言うと自分勝手な理屈を延々とループさせているから、外部からの情報(周りの状況)が入ってこない。
そして頭が真っ白や思考停止状態は、自分の理屈をループさせることも忘れてしまった状態。
あるいは放棄した状態。
ちなみに余談になりますが、カルト宗教では、この状態(主に思考停止&頭が真っ白状態)を意図的に作り出すことによって、外部からの唯一の情報として「教義」や「教祖様の偉大さ・正しさ」を刷り込みます。
いわゆる洗脳の仕組みです。
話を元に戻しますと、実況中継をしてあげることで、「自分の状況を受け入れながら」「周囲の状況を自分の中に橋渡ししてあげる」ことが出来るようになってきます。
ね? これってセルフコントロールでしょ?
この癖がつくと、イラっときた時、カッとなった時、必要以上に自分自身を責めるほど落ち込んだ時に、それらに「囚われる」ことが避けられます。
勘違いしてほしくないのは、何も「全ての感情を放棄しろ」と言っているわけではありません。
むしろ、感情表現なしで話しても、他人の心には伝わりませんし、響きません。
ただ、自分の過去の経験から「意味ない自己反省ループ」にハマると、何も行動が出来なくなります。
何も行動しなければ、何の結果も出ません。
結果を出せない自分を、上司も自分も更に責めます。
こうして、ネガティブ・スパイラルにはまって抜け出せなくなるのだけは回避してほしいのです。
自分を演じることによって、素の自分と相手の間にワンクッション置く。
そこに実況中継を入れることによって、自分の現在の状況と周囲の状況を受け入れる。
セルフコントロールが出来れば、その分、心に余裕も生まれてきますので、落ち着きます。
明日は、もう一歩踏み込んで、この理屈を発展させて、自分を変えていく方法について考えていきたいと思います。