何故スポッチャやキッザニアは疲れるのか?(わらプレvol.156)
こんにちは、桑山です。
だいぶ声が戻ってきました。
ただ、まだ大声は禁止されていて、「手の届く範囲に話しかけるボリューム」で「話す量は半分」だと言われています。
声が今までに比べてスムーズに出るので、つい喋り過ぎてしまうのをどうコントロールするかが問題です(笑)。
世間はゴールデンウィーク真っ只中。
いつもなら
「ゴールデンウィーク? なにそれ? 美味しいの?」
とか
「ゴールデンウィーク? あぁ、都市伝説でしょ?」
などと一笑に付している僕ですが……今年はここ20年くらいのうちで、最も充実したゴールデンウィークです。
もっとも大声上げて楽しめない点はありますが……。
ちなみに昨日は板橋にあるスポッチャというところに行ってきました。
ボウリングで(関東では)有名なラウンドワンというところが手掛けている総合レジャー施設です。
http://www.round1.co.jp/service/spo-cha/
入場料だけで、ゲームやボール遊びなどのスポーツが時間内で遊び放題の施設です。
3時間で大人1人、子ども1人で3,580円でした。
で、子どもは当然ながら大興奮です。
「次はエアホッケー」
「次はボールを大砲で発射するやつ!!」
「マリオカートのゲーム」
「ミニボウリングをやりたい」
最初は一緒に付き合うのですが、1時間半超えたあたりから徐々に疲れが……。
これはキッザニアという職業体験のテーマパークでも感じたことなんですが……子どもが夢中になればなるほど、付き添う大人は疲れてきます。
自分の子どもや親せきの子ども等に付き合っていて、そういう経験ってありませんか?
これって、何でなんだろう?
と考えたところ、2つの原因があるのではないかと思いました。
1つ目は「自分が体験しているか、していないか」の差。
もう1つは「その温度差」です。
何故こんな子どもの遊びに付き合う話を長々としているかというと、これってプレゼンでも一緒だなぁと思うからです。
どういうことかって言うと……
【聞いていて退屈するプレゼンや授業は、これらの要素が入ってしまっている】からです。
例えば……延々と理論的な説明が続く。
例えば……自分の話したいことだけを熱を帯びて話し続ける。
前者で思いつくのは「数学の授業」
わかりにくい公式を使って、どうやって問題を解くのかを延々と解説したりする例です。
数学が好きな人だとそうでもないのかもしれませんが、数学が苦手な僕にとってはこれは呪文でした。
後者の例でいえば「校長先生の朝礼での話」
貧血で倒れる人が出てもお構いなしで、(小学生にとっては)どうでもいい話を延々とする。
いつ終わるかわからない話を聞くのは、既に精神修行の域です。
では、どうすればいいのか?
答えは単純。
「体験」させながら、理解のペースを合わせればいいのです。
じゃ、どうやって体験させればいいのか?
有効な方法のひとつに「たとえ話」があります。
たとえ話の凄いところは意識しなくても、それがストーリーになっているところです。
人間の脳はストーリーに引きつけられます。
「正直に生きた方が良いことあるよ」
と、言われるより、舌切り雀の話をされる方が記憶に残るし、実感できます。
ストーリー(物語)を聞くと、無意識に自分と主人公を重ね合わせて感情移入しようとします。
だって、正直じいさんと保育園の子どもだと明らかに設定として重なりがないのに、みんな正直じいさんの気持ちになって聞いていたりしますよね?
つまり、疑似体験です。
疑似体験すると、聞いている人は退屈せずに、次の展開へと興味をそそられます。
その典型例は映画であり、小説だったりしますよね?
このテクニックをスピーチやプレゼン、授業でほんの少しでも取り入れられたら、これって凄いと思いませんか?