誰の役にも立たない第二弾(わらプレvol.177)
暑い日が続きますね。
今日は以前募集した「桑山とお芝居を観に行く企画」に行ってきます。
今日行く予定の方で僕から連絡が届いていない方は大至急ご連絡ください。
どうもメールやラインやフェイスブックメッセンジャーが相手に届いていないことがあるみたいなので。
前回の「役に立つ人がほとんどいないであろう企画」ですが、意外にも好評だったようでメールが届きました。
聞けば皆が知ってるIT会社の幹部の方からです。
色んな事が書いてあって、どれも興味深かったのですが、その中でも特に面白いと感じたことが2つありました。
この方、日記には出来事は書かないそうです。気持ちのみを書くのだそうです。
曰く、日記は自分の気持ちを言語化して、それを改めてみることで自分を客観視しつつ、心の整理をするためのもの、とのこと。
たしかに。
日記の本来の姿って、そういうものだよなと思いました。(僕は日記を書かないもので)
そう考えると「絵日記」を提出するというのは、とても特殊な事なのだと気がつきます。
そして、もうひとつ。
議事録や業務報告は事実だけを端的に書けばよく、その報告にウラ話的なことを入れる人がいると困ってしまいます、という部分。
あ、ホントにいるんだ。そういう人。
「そんな奴はいねぇだろ~」というギャグのつもりで書いたのに。
事実は小説より奇なり、ですね。
さて、今日は「役に立つ人がほとんどいないであろう企画 第二弾」です。
今日は「読書感想文の書き方」です。
夏休みですからね。
ま、大人には関係ないんですけどね(笑)
なぜ、読書感想文なんか書かせるんだろう?
小学生のときは、読書感想文が面倒臭くて面倒臭くて、ずっと疑問に思っていました。
文部科学省の学習指導要領によると、「読んだ文章を理解して自分の考えや感想を持つこと」が勉強の一つとしているそうです。(読売KODOMO新聞 7月12日)
さらに読売KODOMO新聞は続けます。
一般的には「なぜその本を読んだか」「あらすじ」「感動した場面」「本を読んで自分がこうしたいと思った事」の四つの要素があると読書感想文は成り立ちます。しかし、それにとらわれすぎては面白くありません。(20年以上読書感動分の指導をしてきた磯部延之さん)
ここで、一旦立ち止まって考えてほしいのです。
「何のために読書感想文を書くのか?」ではなく、「何故、読書感想文を推奨するのか?」
どうです?
ざっくりでいいので、ちょっと考えてみて下さい。
文武科学省の言うように、「読んだ文章を理解して自分の考えや感想を持つ」ため?
本当にそうでしょうか?
ひねくれ者の天邪鬼の桑山は思います。
「そんな訳ないじゃん。絶対、本を売るためだ!!」と。
もちろん、本は僕らに色々なものを与えてくれます。
実用書・ビジネス書・専門書は知識を与えてくれます。
小説や物語は、色々な人生を疑似体験させてくれて、心や考え方を豊かにしてくれます。
でも、ぶっちゃけ、活字離れが叫ばれている中で出版社と書店は困っているはずです。
では、これらを踏まえて「どんな読書感想文なら好まれる」でしょうか?
そう考えると、もちろん「自分もその本を読んでみたくなる読書感想文」です。
この考え方は「ビブリオバトル」に似ています。
ビブリオバトルって、ご存知ですか?
参加者同士で本を紹介し合い、もっとも読みたいと思う本を投票で決める催しです。
「この本のどんな所が面白いか?」「なぜ、この本を薦めるのか?」
それをプレゼンして競い合うものです。最近は漫才形式まであるそうです。
つまり、「この本ってこういうところが面白いんだよ」ってことを書いていけばいいんじゃないかと思います。
ここで大事なのは「僕はこう思ったから、楽しいと思った」「僕は過去にこういう体験があったから、こう感じて悲しかった」みたいな裏付けがあるとぐっと良いですね。
本のあらすじなどは所詮、伝聞。
つまり二次情報なんです。
それに対して自分の体験や感じたことは一時体験。
つまり自分オンリーの情報です。
自分オンリーの情報(一次情報)は、二次情報より惹きつける力はかなり強力です。
更に、個人の体験談があると、読んでる人は「じゃ、自分の場合はどうなんだろう?」と考えやすくなるからです。
「でもさぁ~、それって、本をヨイショするだけの忖度文章じゃん?」と思われるかもしれませんが、そうではないんです。
その理由は……
今日は長くなってきたので、ここまでにしておきますね。
続きはまた次回に。