落ち着きのない大人が 手あたり次第にチャレンジします!!

彼がシンデレラを使ったら……(わらプレvol.171)

2020/03/30
 
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社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」に所属しています。 お笑い芸人の傍ら、「わかりやすい伝え方」を極めるべく、セールスライター、スピーチライター、講師、ライトノベル執筆に挑戦中! 最近は「遅ればせながら」御朱印集めにハマりつつあります。

沖縄から自宅に帰ってきたのが深夜1時。
寝たのが1:40、起きたのが5:30。
そして6:30からレンタカーを借りて、事務所からアンケート用紙やら追加の衣装やらを若手の皆と積み込んでトラック搬入組と合流です。

昔はなんてことのなかったスケジュールですが、アラフィフにはなかなかキツかった……。

昔は……で思い出しましたが、前回は、自分の半生をテンプレに当てはめてみようという話でした。
別に半生でなくても構いませんが、何か「自分らしい出来事」の話であればいいと思います。

では、順にテンプレを解説しておきましょう。

まずは「シンデレラ」から。

シンデレラのあらすじをざっとおさらいしておくと……

1.継母と姉にいじめられている
2.舞踏会開催のお知らせが届く
3.シンデレラだけ行かせてもらえない
4.魔女が現れて手助け
5.王子様と踊る
6.12時で魔法が解けてしまうので急いで帰る
7.王子様が自分を探し出してくれて結婚

これを一般化させると、こうなります

1.悩み
2.理想・目標や憧れ
3.現実
4.誰かの助け
5.条件付きの幸せ
6.絶望
7.幸せ

じゃ、これを僕がザ・ニュースペーパーに入ることになったいきさつにあてはめてみましょう。

1.僕は元々損害保険会社のサラリーマンでした。しかも営業部署なのに全然契約を取れないダメ社員。
新入社員で運用部門に配属されてしまったので、運用は一生懸命勉強しましたが保険の知識はほとんどない状態でした。
おまけに大阪に転勤。大阪といえば言わずと知れた「商いには厳しい土地柄」。
お客さんのところに訪ねて行っても社長に門前払いを食う日々が続きました。

2.そんな生活の中、僕を癒してくれるのは取引先を回る営業車の中で聴いているラジオでした。
パーソナリティの女性の優しい声は、大袈裟ではなく高原を駆け抜ける涼風のようでした。

3.しかし会社に戻ってくれば営業会議が待っています。
契約が取れない僕は、毎日のように課長から吊るし上げをくいました。
この課長の追い詰め方はとても厳しくて、前任地の名古屋では課長代理を自殺に追い込んだほどでした。
1,000万円の自動車契約を他社に取られたことが原因だったそうです。
僕も過労で3週間入院しました。

4.心身ともにぼロボロとなり、限界を感じながら逃げるようにして退社しました。
当時の社員寮があった兵庫県尼崎市から一晩寝ずに、高速道路を使わずに下の道で埼玉県熊谷市まで帰ることにしました。
生きる気力はなかったのですが、時間はたくさん出来ちゃいましたからね。
そうして神奈川県の湘南まで来た時に夜明けとなりました。
海岸を横に見ながらの朝日はなんかほっとするものでした。
そして就職する前によく聞いていたNack5(FM埼玉)の放送が少しずつ入ってきました。
するとその放送から聞こえてきたんです。
今まで大阪で聞いていたパーソナリティーさんの声が。
玉川美沙さんというパーソナリティーさんです。
この方の声を聴いて、道端に車を止めて少し泣いたのを覚えています。

5.そこから3か月、何をしていいのかもわからず、放心したようにぼーっとしていました。
家で弟が凝っていたアニメを見たりしてました。
近所の中小企業に就職を勧められても、何がしたいのか、何をすべきなのかがわからず、ただただぼーっとしてました。
その時、ふと思い出したんです。
ラジオの声に心ふるえて道端で涙したことを。
ラジオのパーソナリティーってなれないんだろうか?
そう思ってラジオを聞きまくりました。
洋楽どころか音楽に興味がほぼない僕にはDJは絶対に無理だと思いました。
ところがラジオを聞きまくっていると、声優枠があることに気づきました。
正直言って、自分にそんなことが出来るとは全く思わなかったけど「もうどうせ一回失敗してるんだから」と声優養成所を受けてみることにしました。
足ががくがく震えながら試験を受け、なんとか受かることが出来ました。
後で聞いたら、その養成所は誰でも受かるらしいのですが(笑)。
でも、その時はもう嬉しくて嬉しくて!!
生まれて初めてする「演技」の勉強に、訳わからないながらも「ガラスの仮面」を熟読したり、演技論の本を読み漁ったり、芝居を見まくったりして無我夢中に取り組みました。
基礎科→本科→研修科と、それなりの狭き門を一度もひっかかることなくストレートに進級していきました。

6.しかし、事務所からの呼び出しは一度もかかりませんでした。
事務所所属の試験も箸にも棒にもかかりませんでした。
後で聞いた話では、その養成所では「特待生」でなければ、ほぼプロになることが出来ないらしいのでした。
当時はそんなことは知りませんから、もう焦りました。
周りは22~23歳。まだまだやり直しのきく年齢です。僕は32歳になっていました。
劇団の研究生のオーディションも受けました。
俳優座も文学座も受けました。青年座は年齢制限に引っ掛かり受けられませんでした。
比較的声の仕事に強いと言われるコメディの老舗、テアトル・エコーは5回受けて5回落ちました。
どうしていいのか、わかりませんでした。
当時、「話芸写」という朗読の教室に通っていたのですが、本気で青森あたりに移り住んで津軽弁をマスターし、「語り部」を目指そうかと考えてました。
ただ、語り部で生活費を稼いで暮らしていけるイメージが湧かなくて二の足を踏んでいました。

7.そんな僕を見かねたのか、話芸写のおばあちゃん先生、ちぃ先生が僕にザ・ニュースペーパーを教えてくれました。
ただ当時の僕は「声優」になりたくて、スキルを上げるために朗読教室に通っていたので、お笑いには全く興味がありません。
僕は元来、他人の言うことをあまり聞かない天邪鬼な人間です。
「見るだけ見てみたら?」「興味ない」
「くわっちには合ってると思うよ」「僕は朗読のスキルを磨くためにここに来たのであって、人生の進路指導のために月謝を払っているんじゃない」
まぁ押問答がずっと続きました。
で、ちぃ先生が取った行動がその後の僕の人生を決めました。
「課外授業」と称して、20枚ほどまとめてザ・ニュースペーパーのチケットを取り、朗読教室に通っている人は半強制的にみんなで観に行くという荒業に出たのです。
で、観てみたら、これが面白いのなんのって!!
小泉首相の演説で大声出して笑ったし、当時は知らなかった石破防衛庁長官の話に感心したり。
2時間後にはすっかり虜ですよ。食わず嫌い王決定戦に出られるくらい、食わず嫌いで観に行こうとしなかったんです。
たぶん、ちぃ先生が荒業に出なければ、僕はいまだにザ・ニュースペーパーを知らないんじゃないかな。
だから、あの時に舞台の客席から、ただただ羨望のまなざしでみていた小泉純一郎役の松下アキラさんとホテルの部屋で2人で飲んでいたりすると凄く不思議な気持ちになります。
一昨日も部屋飲みしたしね。
しかも、先輩がスマホをいじっているのをいいことに、僕は目の前でスマホのゲームをしていたしね(笑)。
ま、なんにせよ、色んな人の導きで、今、僕は舞台に立っています。
課長に毎日怒鳴られていた時には考えられなかった、文字通りのスポットライトを浴びています。
イヤなことも辛いこともありますが、こうやって振り返ると、もう1~2回、人生が跳ねるような予感にワクワクしています。

どうです?
テンプレに嵌めて無理やり文章にしてみましたが、それなりに感動チックになった気がしませんか?
そうなんです。
シンデレラ・プロットは「感動」に重点を置いたプロット(あらすじ)なんです。

こんなに長い文章じゃなくていいので、ちょっと試してみませんか?

次回は、もっと単純な水戸黄門で同じ話をやってみましょうか。
……出来るかな?

お楽しみに。
長くなっちゃって、ごめんなさい。

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